欲求から見える「真実の愛」とは。『hなhとA子の呪い』を読んでみた
動機
SNSとかちょこちょこレビューとか見ていて気になっていました。
表紙の絵を見ているだけでも絵のタッチは独特だなって感じていて、購入するの躊躇していたんですが、タイトルもさることながら気になって購入してしまいました。
あらすじ・ ひとこと
「性欲は真実の愛にとって障害」という信念を持つ針辻真の前に現れたA子。彼女は針辻にも性欲は存在すると嗤いながら指摘する。A子の言葉は「呪い」となり、針辻に彼自身の持つ「性欲」を自覚させていく。自分の中にある信念とは真逆の「汚らわしいもの」を見せ付けられ、次第に壊れていく針辻。A子の存在は針辻にしか認識できない。彼女は幽霊なのか、それとも針辻の抑圧された精神が見せる幻なのか…? 愛に捕らわれ縛られる男の「悲劇」の物語!
真実の愛とは
主人公の針辻真はすごく破壊的に「ロマンチスト」で、あらすじにも書いてある通り、真実の愛の前には性欲は邪魔だと語っています。
「真実の愛」とはなんだろうと
欲求は人を傷つけ、性欲は人を狂わせ惑わせる愛の敵。
性欲は人類にかけられた捨て去るべき最低最悪の呪い。
と主張する中で、謎のA子が登場します。
そのA子は針辻真にしか見えていない存在で、針辻真の深層に抑えつけていた性欲を刺激してく。
そして、針辻真は徐々に、性欲のある自分と、欲求への否定的な自分との葛藤で病んでいく。
欲求があるから、愛すことができるのか。
性欲がなくても愛せれるのかと考えながら読んでみたけど、ぼくは分からなかったです。
弱さを許す事が愛か?
醜さを受け入れる事が愛か?
難しいですね。
ここだけを切り抜いて考えると相手の良い部分だけを好きになって愛しましょう。と、なることは難しいのかと感じました。
自分が嫌だなって部分も見えてくると思うし、そこで自分がどこまで受容でき、そこも愛せれるのかってのが問題になってくるのかなと思った。
そこで、許せて好きだな、可愛いなって思えることは、やはり性欲とも関係しているんだろうか。
欲求があるからこそ、許せて受け入れることができる。
「欲求=愛」
仮に欲求がなかったとしたら、その人の嫌いな部分は許せないんだろうか。
議論は深まりそうだ…
精神を病んで悩んだ末に、本質に迫っていく。
自分がやっていることは、欲求があるからこその行為だったのかと泣き崩れるが、針辻真は自分の欲求・本能と真正面から向き合っていくことを決意する。
最後に
この漫画のレビューには、ホラー漫画とか表現されているのもあるけど、全然ホラーではありません。
絵のタッチが独特で針辻真の精神崩壊の描写はあるけど、真実の愛とはなんだろうってストーリで構成されています。
「真実の愛」と「欲求」の関係性のテーマって面白いなって感じました。
1巻で引き込まれてしまったので、次の巻も楽しみです。
気になった方は是非。